医療業界の体質

■気管支喘息と登校拒否

「もう帰ろうか」校門の前でいつもの五人組が集まり、全メンバーが揃った後に誰からともなく出た言葉です。 五人は顔を見合わせてから自然に解散・・・。これは50年前の瀬戸内地方、とある田舎の小学校での出来事。

子供のころの私は体が弱く気管支喘息で三か月ほど入院したことがあり、回復して退院したものの今度は心の病にかかってしまいました。 朝になって登校するころになると治ったはずの咳が出て憂鬱な気分からどうしても布団から出ることができません。

時間になり弟妹達が先に家を出ても布団にもぐったままで困った母親はなんとか食事を摂らせ家から出すことに苦労していました。

嫌々ながら登校する私は弟妹たちより遅れて10時ごろに校門前に着くことになりますがそこにはすでに先着している顔見知りの子供たちが数人いて冒頭のようなことが日々繰り返されていました。

登校拒否児童」当時はまだそんな言葉もない時代でしたがこの五人組は正に「登校拒否児童」のハシリでした。あまり褒められたものではありませんが大人になってからは、この「登校拒否児童」当時のことを振り返り自分は時代の先端を行っていたとなぜか酒の席で自慢する私でした。

少し脱線しましたが、この五人組は学年もクラスも性別も別々ということもあり顔を合わせるのはなぜかこの校門の前だけで校内で見かけることはほとんどありませんでした。 私を含めみんな活発とは言い難い内向的な性格で人づきあいが苦手なタイプでした。 そんな彼や彼女たちの存在は名前も知りませんでしたが自分以外にも「登校拒否児童」がいるという安心材料でもありました。

毎朝校門の前で解散するとそのまま家に帰る私ですが、それも母親を困らせることになるため家にもなかなか入ることができません。意を決して玄関を開けると(当時は田舎では玄関のカギを閉める習慣はありませんでした)母親が待っていて「やいとすえるよ」(やいと:京ことばでお灸のこと)ぜんそくの治療と学校に行かないことに対する罰という二重の意味がある「やいと」は子供の私にとって恐怖でした。

何日か「やいと」の日々が続き、あまりにも私が嫌がるためにそれに代わる新兵器を母親は用意していました。 名前は忘れましたが養命酒のような一升瓶に入った椎茸を煮出したエキス。「やいと」と同じく民間療法の類だと思いますがこれがまたとんでもなく不味い。ぜんそくに効く効用があるとのことでしたが塩味も甘味もなく出がらしの出汁という感じでこれも罰ゲームの意味があったのではないかと思います。

 

■登校拒否児童は異端児

そんな悪戦苦闘の日々が続いた小学校2年の後半ですが3年生になり担任の先生が代わると学校に行くことが楽しくなり「登校拒否児童」時代は終了しました。

2年生のころの担任の先生は低い声が印象的な50代のやせ型の女性で「干物」のような先生でした。「干物先生」に何をされた訳でもありませんが子供ながらに声と容姿に恐怖を感じていたのかもしれません。「干物先生」は普段あまり笑うことがなく、黒板の下の方に字を書くときに両足を開いて背中を反っていた姿がとても記憶に残っています。

私の世代は「登校拒否」が一般的でしたが今では同じ意味で「不登校」という言葉が使われています。そしてそれを取り巻く環境も随分変わりました。

昔は学校や先生は常に正しく親や児童・生徒はそれに従うのが当たり前という空気が社会全体にあり、私のように時代の先端?をいっていた子供は「異端児」でした。「登校拒否」はその児童や生徒側に原因があり「サボリ」や「怠慢」というように一方的な捉え方がされていたように思います。私も子供ながらに自己嫌悪に陥ることが多くそれが今では原因は児童の側だけでなく学校や親、地域社会など広範かつ多角的に捉えられ病院での治療も行われています。

私は小学校時代の6年間のうち約半年間、学校に行っていません。気管支喘息で長期間休んだことでサボリ癖がついたことと、担任の先生に馴染めなかったことが原因のようでした。しかし3年生に進級してから状況が改善したことは間違いありません。担任の先生は苗字に花の字がつく若い女性で、勉強ができるわけでも運動ができるわけでもない「登校拒否児童」を「元登校拒否児童」に再生することに成功しました。

zennsoku

医療の進歩

私の時代は「登校拒否児童」はまだ社会問題化しておらず一部の不真面目な児童や生徒のレアケースと捉えられていましたが50年の間に理解がすすみいくつもの対策が可能になりました。医療の進歩も日進月歩で「不治の病」と言われた癌さえ早期発見ができれば完治する時代になりました。手術支援ロボットの開発の傍ら「線虫」の嗅覚を利用したがん検査などユニークなアプローチによってこれからの50年は更に劇的な変化を遂げることでしょう。

体質

■古い体質

そういった医療技術については進歩しても病院という組織の風土や人の価値観は50年前とさほど変わっていないのではないでしょうか。もちろん変えてはいけないコアな部分と時代に合わせて変えるべき部分はあると思いますが「経営」という視点は他の組織と比べ著しく欠落していると感じています。

この問題については今後あらためて書いていきたいと思います。

おすすめの記事